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永平寺の杉の念珠 |
2025年6月8日、9日に、北陸の曹洞宗の古寺を訪ねる旅に夫婦で出かけた。
近所の曹洞宗の静勝寺の住職さんの案内で1泊2日での旅だった。
12人が参加し、宿泊は福井の曹洞宗大本山、永平寺の宿泊施設でちょっとした修行も体験できた、かな。
上の写真の念珠は、永平寺境内にそびえ立つ杉の古木の間伐木を使って作られた念珠で、
引率の住職さんからのわたしたちへのお土産だ。
腕に付けていると、杉の香りがほのかに匂い、杉の大木のパワーを体に感じる。
6月8日(日);
引率の住職さんからのわたしたちへのお土産だ。
腕に付けていると、杉の香りがほのかに匂い、杉の大木のパワーを体に感じる。
6月8日(日);
大宮駅から新幹線で一路、金沢へ。金沢のひがし茶屋町界隈を散策して、小道に入ったところに九谷焼の店を見つけて、骨董の花瓶と新進作家の新しい作風の花瓶を購入した。
最初に訪れた禅寺は、東香山大乗寺(金沢市)。永平寺の第三代・徹通義介禅師によって開山された寺だという。
「徹通義介禅師は、師である道元禅師の清貧、古淡の精神を受け継ぎ、人材育成に意を注ぎ、時代に即応し時代に先行する仏法の実現に夢を結んだ祖師だった。」
「徹通義介禅師は、師である道元禅師の清貧、古淡の精神を受け継ぎ、人材育成に意を注ぎ、時代に即応し時代に先行する仏法の実現に夢を結んだ祖師だった。」
と紹介されている。今も修行僧を受け入れる寺だ。
バスで移動して、16時頃に福井の山深い永平寺に到着し、布団が一人ずつに用意された女性用の畳の部屋に案内されて、風呂を浴びた後、雲水(修行僧)が作る懐石料理に(禅の作法を一通り聞いて)皆で静かに舌鼓を打った。
一息つく間もなく、宿泊棟にある大広間で座禅を組み、”南無・・・を念ずること”についての説法を聴き、永平寺で雲水たちの修行の一日を描く映画を鑑賞する。背筋が伸びる気持ちになる。
わたしは、高校2年の修学旅行で永平寺を訪れている。その時は、修行僧たちが甲子園の高校球児たちのようにたくましく頼もしく映ったものだが、50年ぶりの今回の滞在では、かれらにまだまだ幼さが残っていて一生懸命に修行を積む姿に、息子、もしかすると孫を見るような温かく応援するまなざしを向けていたように思う。
夜9時に消灯。朝5時から永平寺本堂で(木造の渡り廊下の緩やかな上り階段をぐるぐる回って着いた!)おそらく永平寺じゅうの僧たちが集まって、お鈴(りん)と太鼓が静かに響いて厳かな読経が始まった。心にずーんと沁みこむような読経だった。
6月9日(月);
午前10時に永平寺を出発して、洞谷山(どうこくさん)永光寺(ようこうじ)(石川県羽咋市)へ向かう。深い山の斜面に、鎌倉時代末期に開山された、古い閉ざされたような印象を持つ古寺だった。
寺の奥へ続く階段式の緩やかな渡り廊下を通って”伝燈院”(大きな五つの位牌を安置。曹洞宗の法燈を伝える五大祖師を中心に開山四哲像を奉祀する、他には類例のない独自の形式の開山堂だといわれる。)へ進む。
さらに脇道に入って山奥に続く石段を昇ると”開山塔”が立ち、その先にも、”五老峯”まで石段は続いた。
帰り道に同じ石段を下りていくと、左に石造の龍の口から水、”白山水”と言われる霊水が出ている屋根のついた水場が見えた。
わたしは、高校2年の修学旅行で永平寺を訪れている。その時は、修行僧たちが甲子園の高校球児たちのようにたくましく頼もしく映ったものだが、50年ぶりの今回の滞在では、かれらにまだまだ幼さが残っていて一生懸命に修行を積む姿に、息子、もしかすると孫を見るような温かく応援するまなざしを向けていたように思う。
夜9時に消灯。朝5時から永平寺本堂で(木造の渡り廊下の緩やかな上り階段をぐるぐる回って着いた!)おそらく永平寺じゅうの僧たちが集まって、お鈴(りん)と太鼓が静かに響いて厳かな読経が始まった。心にずーんと沁みこむような読経だった。
6月9日(月);
午前10時に永平寺を出発して、洞谷山(どうこくさん)永光寺(ようこうじ)(石川県羽咋市)へ向かう。深い山の斜面に、鎌倉時代末期に開山された、古い閉ざされたような印象を持つ古寺だった。
寺の奥へ続く階段式の緩やかな渡り廊下を通って”伝燈院”(大きな五つの位牌を安置。曹洞宗の法燈を伝える五大祖師を中心に開山四哲像を奉祀する、他には類例のない独自の形式の開山堂だといわれる。)へ進む。
さらに脇道に入って山奥に続く石段を昇ると”開山塔”が立ち、その先にも、”五老峯”まで石段は続いた。
帰り道に同じ石段を下りていくと、左に石造の龍の口から水、”白山水”と言われる霊水が出ている屋根のついた水場が見えた。
「白山水の浄らかな滴りは『五老峯の御霊水』と呼ばれる。」と書かれている。
最後に四つ目の寺、曹洞宗大本山總持寺祖院(石川県輪島市)を訪れた。昨年正月に石川県を襲った大地震で、境内は相当なダメージを負っていたが、徐々に復興工事が進んでいるということだった。
ここ大本山總持寺祖院は、明治31年に七堂伽藍の大部分を焼失し、以来、布教伝道の中心を横浜市鶴見に移したのだそうだ。修行僧の受け入れもなくなっているが、それでも広大な境内に建つ山門、仏殿など荘厳な佇まいを残している。
寺の訪問中は静勝寺の住職さんの引率で、ふだんは入れないところも許可され、詳しい説明も聴けて、とても良い旅だった。
能登半島から日本海を左に見ながら金沢駅に向かう沿道で、地震で被害を受けた光景が見え、強く能登、石川の被災地復興を祈ろうと思った。
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大乗寺、永光寺、總持寺祖院のパンフレット |
わたし自身の旅の覚書として記しました。
良いね。南無帰依仏。
返信削除はい、ぜひとも南無帰依仏していただきたいです。よろしくー。
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