あさイチで紹介された映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか』を夫と観に行ってきた。
ベトナム戦争から除隊して親兄弟の待つ家庭に帰ってきた青年ネルソンだった。 どうしても何事も起こらない平坦なリズムの繰り返しという日常生活に戻れなかったのか、家を出て浮浪者のようになってアルコール漬けの日々を送る。
彼はベトナム戦争で人を殺し、生きて生還するが、それだけのトラウマではないように思えた。彼は小さい頃から父親に暴力を振るわれて、またそんな夫に反論して言い合いになる母親の元、”言動の荒波”の渦がいつも彼が吸う空気に漂っていたのだ。
帰還後に病院で精神科医のもとで治療しながら、揺れ動く心を抱えるネルソンに、幼馴染みが受け持つ小学校のクラスでベトナム戦争の経験を話す機会を持つ。そこで、ひとりの無邪気な女の子が言った言葉が彼に突き刺さってきた。
「ネルソンさん、あなたは戦争で人を殺しましたか。」
精神科医は毎回じっくりとネルソンの話に耳を傾ける。毎回、耳を傾け続ける。
それから。それから、とじっくり聞き続ける。
ある時に、精神科医は、「ネルソン、あなたはなぜ人を殺した?」としつこく問うてきた。
最初は、殺さなければ僕が殺されていた。戦争では、人を殺さなければ僕が殺されるのだ。そう繰り返すだけだった。それでも、医者は問い続けた。
「ネルソン、なぜ人を殺したのか。」
そして、最後に精神科医を見つめて彼は言った。
「・・・ぼくが人を殺したかったのだ。」と。
なぜ、精神科医は執拗に同じ質問をネルソンさんに問い続けたのだろうと、わたしは不思議に思った。
ネルソンは、ずっと”殺人”を戦争のせいにし続けていた。
そして、とうとう、自己責任に行き着いたのではないか。
ネルソンさんは、自分の行動を認めたことで戦争の呪縛から解かれたのか・・・とわたしは思ったのだが。どうだろう。
映画は全編、英語だけ。それ以外は、彼が殺人を繰り返した戦場、ベトナム(映画の中ではダナンだった)に戦後初めて戻って講演した時のベトナム人聴衆の言葉のベトナム語だけ。字幕は日本語だった。
監督は塚本晋也。
アメリカの映画ではなかった。
わたしは、1990年代に観たアメリカ映画、『フォレスト・ガンプ』や、映画の中でも流れた、ボブディランの『風に吹かれて』を思い出し、わたしが夫の仕事で2年間を暮らしたネパールのカトマンズでのことを考えていた。ベトナム戦争終結から20年近く経っていたのに、カトマンズのヒッピー通り(安宿が集まっていた)ではアメリカ人の、若者とはもう言えなくなった人たちが、生きる場所をなくしてしまったと思ってでもいるかのように、ヒッピー服を身に纏って麻薬でふらついている姿を思い出していた。あの人たちはベトナム戦争で傷ついて彷徨っている人たちだ、と誰に教わったのか、わたしはそのように彼らを見ていたように思う。(真偽はわからないままだったけど。)
映画のネルソンさんは、真面目に精神科医の元に通い続け心のうちをさらけ出し、彼に寄り添う女性と家庭を持ってひたむきに生き続けてきた人だった。
映画の終わりで、年老いた白髪混じりのネルソンさんが、カフェで、ネルソンさんに添い続けた引退後の精神科医に近況報告を語る場面があった。ネルソンさんはベトナム戦争に行く前に米兵として半年を過ごした沖縄での非道な振る舞いのことにも真摯に向き合って生きてきたのだなあと思った。精神科医の、ネルソンさんを見つめる温かい眼差しで理解できる。
(冒頭の映画の一コマの写真は、ネルソンさんが精神科医の診察室でカウンセリングを受けている場面。)
精神科医は言った。
あの時代、戦争でのトラウマで精神障害を抱えた兵隊にどうやって向き合うのか、治療の進め方がまだ確立されていなかったのだよ、と。
ネルソンさんは、「では、僕たちは実験台だったのですね。」と言い、二人は穏やかに微笑んでいた。
この話は実話だということだ。小説を映画化したとか聞いた。
ネルソンさんは世界中を回って、自身の体験を講演したという。なぜだか、その講演数は日本が特別に多かった。
ネルソンさんは奥さんとは別れたが、奥さんの連れ子だった息子とはずっと交流を持っていると笑顔で精神科医に報告していたなあ。彼の息子とも一時期は葛藤があったはずだ。
というのも・・・。ネルソンさんのいちばん最初の講演は幼馴染みの小学校教師のクラスでだった。
2回目は、彼の義理の息子が進路を決めるときに高校で校長先生が生徒に配布した入隊勧誘パンフレットを目にした時、自身の経験を将来を決める岐路に立つ高校生たちに話しておきたいと学校に直談判して生徒の前に立って話した講演会だ。
義理の息子は、本当の父でもない人の戦争の経験談など聞きたくもない、学校に来ないでくれと拒否したのだが、ネルソンさんは講演会を決行した。ネルソンさんの想いは息子にも若い生徒たちに届いたのだった。
その後、ネルソンさんの発信は続いていった。
ネルソンさんは、ベトナム戦争従軍の時に浴びた枯葉剤の影響で病気を得て、61歳で亡くなるまで、講演会を続けたのだそうだ。日本の講演会を企画した側の人たちとも良い出会いがあったのだろうとわたしは想像した。
そして、なぜだかわからないけど、ネルソンさんは日本のお寺に埋葬されていると映画の最後の字幕で伝えていた。

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