新年明けましておめでとうございます。
上の写真は、わたしたち夫婦がブルキナファソの首都、ワガドゥグにいたときにNHK「今夜も生でさだまさし」に葉書きを出してはさださんが読んでくれて、番組中の葉書き採用お礼として、番組名物のホワイトボードの絵を葉書きセットにして送られてきたうちの3枚だ。
さださんから何回読んでもらっただろう。そのたびに、この絵ハガキセットを送ってくれた。
ワガドゥグの郵便局の私書箱へわざわざ送ってくれたことも2、3回あったなあ。
わたしたちが日本に戻ってきた後に絵ハガキセットがワガドゥグに送られ、(びっくりすることに!)ワガドゥグの郵便局が(私書箱名義人不明ということで)日本に転送してくれて、それを生さださんスタッフが「日本に帰国したのをお便りで知ったので、赤羽のほうに転送します。」とメッセージが添えて転転送されて届いた、ということもあった。
父のところにずいぶん、この生さださんのお礼葉書きで便りを書いたものだが、その父も昨夏に他界。それに、ワガドゥグにさださんファンの日本人保健師さん(ファンが高じて長崎の大学で勉強した女性!)がいて、彼女にもわけてあげたこともあったなぁ。
そんなこんなで今、わたしの手元に残っている生さださんからの葉書はこの3枚だけになった。
さて、昨年12月。コロナでベッド療養中のわたしの携帯に、「年の始めもさだまさし・両国国技館での観覧希望をメイルで募集します。」という画面がひょこっと現れた!
で、画面に入っていくとわたしともあろうもの(携帯音痴!)が、すんなりと最後まで進めたのだ。そして、さださんに画面にメッセージをどうぞ、と出たので、”わたしは、キンシャサ、ワガドゥグ滞在中に生さださんにお便りしてさださんが何度も読んでくれてよい思い出となりました。どうもありがとうございました。”と書いて送ったら、”申し込み完了”、と表示された。
これはひょっとして、観覧希望に当選するかも、いや、絶対する~と直感。夫に、事情を話すとよし行こう!!!、ということで即合意となった。
すると1週間後だったか、わたしがまだ自宅で療養中に電話がかかってきて、生さだの番組です、新年の生さだ観覧に応募されましたよね~と聞かれたので、ウィ~と応えると、「当選されました!」と告げられたのだった。
もう、びっくり仰天。やったー、と叫んで、当選通知はメイルで送信されるというので待ちに待って当選通知メイルを受信。そして大晦日を迎え、夫と二人で、23:40両国国技館正面玄関集合に間に合うように出発。めでたく、土俵の上の特設ステージのすぐ前の椅子席で夫婦で、番組を生で観覧したのだった。2025年1月1日、年明けてすぐ、0:30から2時間の生放送だった。
さださんは、同じ会場で20時からカウントダウンコンサートをやっていて、すでに4時間も歌って話しているのだ。そして、ほとんど休憩することもなくテレビの生番組が始まった。
冒頭は、わたしの大好きな「長崎小夜曲~セレナーデ」の歌で始まった。演奏はいつものさだ工務店のメンバーたち。(さださんの歌はこの1曲だけだった。そりゃそうだろうと納得。)そして、井上さん、住吉さん、着物姿の小野文恵アナウンサーが登場。
わたしたちの横のほうの土俵上特設ステージ真ん前の席にはグレープの相棒、吉田政美さんが2時間の番組中ずっと座って静かに観ていた。きっと、かれもカウントダウンコンサートで疲れているだろうに、じっと座って見入っていた。律儀な優しい人柄を感じた。
そんなことはテレビに映らないから、視聴者は知らないだろう。
また、さださんたちの周りにはカメラマンだけでなく、いろんなスタッフが番組進行ノート?をゴムで腰に付けてぶらぶらさせながら動き回って伝令飛ばし合って、さださんたち3人をフォローしていた。そんな様子は画面には映らないから、会場で観て初めて知ったことだった。スタッフたちの番組制作への熱い思いを感じた。
スタッフの女性の一人が、番組が始まる直前に、この番組は会場の皆さんで盛り上げて楽しく作り上げていく番組なので、ぜひ皆さんの力もよろしくお願いしますと言って、「年の始めはさだまさし」コールを2回練習したことで会場が一丸となったように感じた。
何組かのゲスト(最初は、サッカー日本チームの監督、森保一さん。長崎出身。)に合わせてさださんの軽快なトーク。時には、哲学めいた人生の教訓話になったり。20数億円の借金返済話も面白おかしく話していたけど、人生でただひとつ大事なことは、”あきらめてはいけない!”、と言うことです、と言ったとき。さださんが言うと実に真実味帯びて、会場には一斉にこくり、と頷く音が響き渡った(ような気がした・・・)。
2時間はあっという間。さださんのプロ精神は見事でした!
帰宅して、すぐにベッドにもぐりこみ、夫婦で午前10時までこんこんと眠りこけ、おせち食べてまたごろり。飲んではごろり。
そんな元旦でした。
2025年も幸せで平穏で1年でありますように。
世界に目を向けてみれば、あちこちで戦闘が続いている。国連で働くわたしたちの若い友人は、ずっとアフリカ勤務と思いきや、緊急支援出張で3か月間ずっと戦火のレバノンで人道支援活動に携わっていたことを知った。
どうか、世界に人々が平和な生活を送れますように。
日本のわたしたちは、どかん!、と鳴ったら、あらどこで花火大会をやっているのかしら・・・と楽しい連想をするけれど、どかん!という音に怯える人々も世界にはいるのだということを忘れないでいたいです。
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